ある日のこと、私が退社しかけていると
ある社員から、以下のような質問を受けました
「
社長が僕くらいの年齢の頃、何をしていましたか
」
その頃は
大学生だったから、
最初に就職した会社のことと、その会社を辞めたあと
不動産業界
に従事してから考えたり思ったりしたことを答えました

私は
不動産業界に入る前は
山一證券という、その当時
日本4大証券の1つだった会社で働いていました

大学時代はアルバイト三昧
将来ことなんて何一つ考えたことはありませんでした

逆に言うと、
不安を持ったり感じたりすることも全くありませんでした

そんなことをイチイチ言ったり思ったりすることはありませんでしたが
自分は当然に明るい未来を手にすることができると思っていたんでしょう
就職活動でも、周囲のみんなは


社、


社と面接を受けている中

私は

社しか面接を受けませんでした

しかも面接を受けた

社は
就職セミナーなどで
不人気で
並ばずとも
説明が聞ける会社という理由でした

そして、結局のところ、大学時代に
複数アルバイトしていた中の1つに
焼肉屋があったのですが、そこが
モツ鍋屋を出店するから
そこの店長として働かないか

と誘われ、
ほぼそこで働くことを
自分自身では決定していました

そんな中、私の1つ上の先輩が
山一證券福岡支店にいて
その先輩が住んでいた
山一證券の百道寮に
しょっちゅう遊びに行っていました
他の山一證券の先輩達とも仲良くなり、よく遊んでいたのですが
ある日、その中の1人から
「
お前は就職決まったのか
」と訊ねられたので
私は
「うん、一応、知り合いの
焼肉屋が
モツ鍋屋を出すけん、そこの
店長をしようと思っとー

」
先輩:「はぁー

せっかく大学も出るんやから、
大企業で働いてみろよ

あーそうそう

、
山一證券も
福岡で企業説明会をしてるぞ、お前受けてみろ
証券会社はいいぞー

、
ボーナスは札束が立つからね

」
私:「
えーーー
マジですか
」
ということで、
不純な動機を胸に秘め、挑戦することに
しかし、そう簡単に入社できるような会社ではありません
九州で採用枠2人という
狭き門ダメモトで挑んだ
各面接力むこともなく、まるで
世間話をしているかのようなトークショーに


次面接、

次面接、

次面接とフルイにかけられましたが
何故か
すべてクリア
東京で行われる
役員面接のキップを手に入れました
そして、いよいよ役員面接の日

この日も
ノリノリの絶好調
履歴書の特技欄に「
包丁捌き」と書いていたら
役員の1人が
食いつく食いつく硬い感じの面接の雰囲気だったのですが
始めからニコニコ顔

で
「
篠原君、履歴書の特技欄に包丁捌きってあるけど、これって何

」
キター
この後は立ち上がり
身振り手振りで包丁捌きを披露
すると
役員一同大爆笑
しかし、全員の面接終了後
他のみんなに聞くと
大半は経済の話に及んだようで
大爆笑は無かったとのこと
この話を聞き、私は
大満足
そして、翌日
結果連絡の電話をみんなで待っていると
らしき電話が

「
・・・はい、はい・・・わかりました」ガチャ
「では
内定者を発表します、

尾くん

・・・・・・・そして篠原

」
よっしゃー受かったーー
しかし、リクルーターの

は気になったけど・・・
その後、リクルーターの方が言っていました
「
何故、篠原が選ばれたのかわからない
役員の数名が強く押してきたらしい」
とのこと
やはり
包丁捌きの公演が効いていたんでしょう

ということで、4月からは晴れて山一證券の一員として
千葉の船橋にあった
山一證券経済研究所の横にある
山一證券研修センターで研修が開始されました

ここで、感じ・思ったたことは
まず、私が
今までに会った人たちと人種が違うということ
同期数は
山一證券過去最低採用人数の


名
そのほとんど東京大学、一ツ橋大学、東京理科、慶応、早稲田、京都大学、同志社
などなど名だたる大学の卒業生ばかり
研修の最初に研修官が言っていたのが
「毎年400名前後を採用していたが、
会社の方針で今回の採用者は100名以内の精鋭に絞らせていただいた
だから、ここにいる皆は
優秀な人間だ

」と

私の周りは
中学校もろくすっぽ行っていない輩が多く、
大卒の私はその中では
異色の存在そんな中で
頭が良いといわれ、
自分でもそう思っていた私は
彼らと出会い、
驚きの連続でした
何に驚いたか
色々ありすぎるのですが
とにかく、
色んなことを知っているんです
そして
当たり前のことなんでしょうが、
証券について、
入社前からしっかりと予習しつくしていました

しかし、
不純な動機で入社し、
基礎知識も無い上に証券のことも予習していなかった私は
研修官から
「
君は他の皆よりもスタートラインが150m以上遅れている
しっかり、やらないと追いつかないぞ
」
と厳しいお言葉

いま考えると、その通りだと思います
ですが、当時の私は
反省することもなく学生時代の延長のように研修期間を過ごしてしまい

結局、支店に配属され営業に出ましたが何もできずに
逃げやめてしまいました
完全敗北でした
その後、
福岡に帰ってきた私は
特に何もすることなく、家にも帰りづらく
友人の家に転がり込んでいました

しかし、2週間ほど経ったとき、
何かしないといけないなーと軽く思い立ち
就職情報誌を購入

その中に手書きの挿絵を掲載していた会社を発見

その絵に引かれ、
他に面接を受けることも無くその会社に就職することを決定

その会社が、以前お世話になっていた
不動産会社不動産業をやりたいという気持ちで入社したわけではなかったのですが
不動産業はやってみると金融業よりも
ファジィな感じが
性にあっていましたそして、その会社の社長が
高校、大学の先輩だったということもあり
大変可愛がっていただいたことで、仕事が楽しかったです

それから
大手の会社のような業務の縛りがなく、
とにかく、どんな形でもいいから、
売上を上げてこい
というスタイル

これが
自分にとっては良かった
自分で生み出さないといけないので、
商いの基本を給料を頂きつつ独自に学ぶことができました

こんなに
良い経験はありませんでした
不動産業界へも金融業と同じく
何となく足を踏み入れてみたのですが
良い社長に出会い、
自由にやらせてもらったことで
なんとなく、
風が吹き始めた感があります
そして、不動産業界に入って間も無く
山一證券の同期入社の面々に負けたくない
というような気持ちになり出し
それを
モチベーションに頑張れたような気がします

彼らのほとんどに
学歴で負け、
証券の知識でも負け、
精神力、さらには
体力までも
負けていました
このままだったら
完全に負け犬にです

なんて、
熱い気持ちにはならないのですが
今度、元山一證券の同期に会うときに
恥ずかしくない社会的地位に立っていたい

と思いつつ働いていたように覚えています
また、私は
元山一證券の同期をライバルとして考えていましたので
社内にライバルなど無く、勝つのが当たり前だと、心の底では思っていました

だから負けることは全く考えていませんでしたね

それからは尻上がりに社会に溶け込み
信用を勝ち得出しました
人生は、いつどのような形で試練を与えてくるのか
振り返ると、その苦しかったことは必然的に起こったこと
しかし、必然だが当然ではない
やはり頑張ったから試練を与えてくれたと思う
そして、それをクリアすると
さらなる高みが見え、それを目指していく
まだまだ、上へ昇らないといけない
まだ階段の1歩も上がっていないような
そんな心持ちだ
山一證券の上司だった声のでかい課長が
大阪難波のラーメン屋でラーメンを食べながら
言っていた言葉を思い出す
いいか、篠原男は一生勉強やー
何故かいつも怒っていたので

マークを付けてみました

とにかく、進んでいくしかない
よくTVや本にある講釈や他人の意見や言葉などは
何の役にも立たない

自分で考えて考えて、その上で判断し、結論を出し、行動し
失敗し、怒られ、殴られ、反省し、信頼回復に努め
また仕事を頂けたり

、頂けなかったり
人はリアルに起こったことでなければ成長しないテレビや本では、絶対に学べない絶対に大人になったら、自分を育てるのは自分しかない私はそう思う
posted by ミライクン at 07:14|
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日記
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